坪内祐三「日記から 50人、50の「その時」」『毎日新聞

すべてコピーしておいたはずなのに、武田百合子の回以降のものがどこかへ隠れてしまった。
なぜこの連載を読み返したくなったのかといえば、先日コピーした『騒人』で、岡本綺堂が次のように回答していたからだ。

(一)実際この頃のカフエーは少し流行し過ぎるやうです。と云つて、それを防止する方法もあるまいと思はれます。昔の若い人が※湯の姐さんを相手にするのが稍や高等になつたものと見て、先づ黙視するのほかは無いでせう。所詮は一時の流行で、やがて自然に衰へるものと私は察してゐます。
(二)私はカフエーなどへは滅多に出入りしたことがありません。殊に昨今は矢鱈に新しい店が出来ますから、何処がいゝか、其の御返事は到底出来ません。まあ、本元の仏蘭西のカフエーのやうなのが好いと申したら、老人のくせに生意気だと叱られませう

えっ、坪内さんの連載で、岡本綺堂がカフェーに行く記述が取り上げられていなかったっけ? こんな回答しておいて、こっそりカフェーに行っていたのかな。
それで、坪内さんの連載を確認するべく、図書館へ行った。縮刷版を見るのは疲れる。10月の縮刷版から確認していって、2006年1月15日、ようやく岡本綺堂の回に出くわす。
……あれ、「大震災後の予審と流言」?
俺の記憶にあるカフェーの回は幻だったのか、と思いながらさらに縮刷版のページを繰っていると、その2週間後の回に「カフェで飲んだ本格「珈琲」」という回がある。
おお、これだこれだ……そうか、岡本綺堂ではなく、小泉信三だったか。しかし、なぜ間違えてしまったのだろう。似ているところといえば、眼鏡くらいのものだ。
ところで、この連載の「あとがき」の最後に、

「日記から」は近く毎日新聞社から単行本として刊行されます。

と書かれていた。そろそろ連載終了から一年経とうとしている。その「近く」がもっと「近く」だったら、重い縮刷版を引っ張り出す必要もなかったのだが。