野口氏の抗議は的を射ていないことは、いまさら俺がどうこう言うまでもないのだけど、話題の箇所には、疑問が残る。「天唾」問題である。

 私は、前回の抗議で、拙著の読者が低劣な表現で愚弄され、その名誉が毀損されたことも問題とした。しかし、これに対して、「見解」は何も言及していない。
 Ronzaの読者と拙著の読者には重複がありうる。したがって、拙著の読者が愚弄されたことにより、同士の読者(の一部)も愚弄されたことになる。坪内氏の言説は天に唾する行為であったことを、指摘しておきたい。

これに対してツボウチさんは「文脈から解釈するかぎり、野口氏は、「天に唾する」という言葉を、「冒涜的なことをする」という意味にとらえているようだ」と書いているが、ここでの野口氏の言葉遣いは正しいのではないだろうか。
つまり、Ronza読者と野口氏の読者は「重複がありうる」、そうであるのに、Ronza誌上で野口読者を批判することは、Ronza読者を批判することにもなる、そういう意味で吐いた唾が自分に返ってくる、という意味で遣ったのだろう。その論理は無茶苦茶であるし、という構図は、べつにツボウチさんがつくったものではなく、週刊読売側がプロモートしたものであるのだけど。

ここまでくると、キ印だ。

  • 「ルポ 早大生狙う“高田のババッ子”たち」『週刊読売』1996年11月17日号

 「ババッ子って聞いたことある?」
 ひとりがこっくりとうなずいた。(略)
 「私がババッ子だもの」
 女子高生の顔にうっすらとした笑いが浮かんだ。

なんだこの口調。

 そうか、早大生ってそんなにモテたのか。知らなかった。当の早大生に聞いてみよう。
 どうなの?
 目の前で早大生がポリポリ頭をかいている。「まいったな」。そんな顔をしてこう言うのだ。
 「声を掛けられるのは付属出身者と早実出身者の一、二年生ですよ。(略)」
 この早大生は大学が好きで、六年在籍している。あまりモテそうにはみえない。聞いたら、やっぱりそうだった。

写真のキャプションに、「「さかえ通り」は安い、ウマイ、早い・・・・」とあるけど、本文とまったく関係がない。

国家における靖国神社、府県における護国神社、そして市町村単位での忠霊塔という、戦前における慰霊施設の話と、それをさらに発展させた細野雲外の「不滅の墳墓」構想についての論考。「不滅の墳墓」というのは村単位での共同墓である。都市化による墓地不足や無縁仏を解決し、またその施設は人々の連帯を強める施設としても利用される構想だったという。すげえ。
都市化を前提としながら、つまり旧来的なコミュニティの崩壊に伴う問題を前提としながら、その向かう先は非常に旧来の共同体的であるという二重性が、なんとも面白い。

  • 坪内祐三「博文館の『太陽』が沈んでいった頃」『IS』88号(最終号)
  • 坪内祐三「私がヴィジュアル本を買う場所。」『東京人』2000年10月号
  • (インタビュアー・永江朗)「町田康インタビュー」『東京人』2000年11月号
  • 車谷長吉「今日も絶版文庫を求めて古本屋めぐり。」『東京人』2002年10月号
  • 中野翠坪内祐三「中野さん、古書探しなら私が。」『東京人』2002年10月号
  • 畠中理恵子・皆川秀・樽見博「神保町 このごろ事情。」『東京人』2002年10月号
  • 唐十郎「来ないでください、高円寺。」『東京人』2004年2月号
  • 村松友視「街の底力を見せつける、ハモニカ横丁」『東京人』2004年2月号
  • みうらじゅん坪内祐三「沿線派vs.アンチ沿線派。」『東京人』2004年2月号
  • 曽我部恵一「ミュージシャン魂に火がつく町。」『東京人』2004年10月号
  • 坪内祐三坂崎重盛「古書通ふたり、神保町そぞろ歩き」『東京人』2004年10月号
  • 「新刊書店、この棚に注目!」『東京人』2004年10月号
  • 荒木経椎・坪内祐三「純写真から純文学へ―「東京、その写真と文学」誌上ライヴ」『太陽』1998年6月号
  • 坪内祐三が選ぶ「明治を面白く知るための30冊」」『週刊朝日』1998年9月30日号

『シブい本』に入ってたっけ、とも思ったけど、シブい本は1997年だから、入っているわけがないね。

全90頁にわたる特集。すげえ。
[歴史]編編者―伊藤隆、[文学]編編者―武藤康史
執筆者は、有馬学、伊藤隆、上山和雄、大豆生田稔、狐、木村昌人、小出昌洋紅野敏郎、酒田正敏、佐々木隆、塩崎弘明、季武嘉也、関川夏央高橋康雄坪内祐三、照沼康孝、長井純市、中野翠、西川誠、古川隆久御厨貴水原紫苑武藤康史、山野博史、山室建徳、吉野朔実
企画・構成、宮田謙一(本誌)、西岡一正(本誌)、坪内祐三佐藤優子、三好史恵。