▲或る人が来て、世間の人は電車が出来て便利になったというが、我々は電車のお庇で辺鄙が賑かになって家賃が騰るので、延長する毎に段々遠くへ転さなくてはならないから、電車のできたのが却て不便だと云った。
 ▲近頃は巣鴨や大塚、中野や渋谷あたりから中央の市街へ毎日通う人は珍しく無い。逗子や鎌倉から通う人さえある。便利だと云えば便利だが、慈に不便があると云えば又云われん事は無い。電車や自働車の発達したお庇に、金のあるものが市街を離れた郊外に広大なる邸宅を構えるのは贅沢だが、金の無いものが家賃の安い処へと段々引込まざるを得なくなるのは悲惨である。同じ交通の便利の恩恵を受けるにも両様の意味がある。
(略)
 ▲郊外の場所に由ると市内の山の手よりも高い相場の地所がある。将来の騰貴を予期して不相当なる高値を歌ってるものもある。我々は既に市内を駆逐され或は将に駆逐されんとしているが、郡部でも電車の便利に浴する地には段々住えなくなりそうだ。或る人が来て、景色の良い上に馬鹿に安い地所があるから移転さないかと云うから、何処かと聞くと、市外五里の辺鄙な田舎である。我々は終に電車も電灯も瓦斯も電話も水道も無い、有らゆる文明から全く塗絶された僻遠の地に引込まねばならないかも知れない。我々はアイノ人のように段々奥へ奥へと追払われるのだ。

内田魯庵「駆逐されんとする文人」)