当時、中森明夫さんと仲が良くて、週に一度くらいかな、面白い本の情報交換みたいなことはしていて。彼も国内海外を問わずノンフィクションがすごい好きだから、今どんなルポが有効かみたいな話はしていましたね。その時に“ニュー・ジャーナリズム”という言葉に出会って。僕なんかは自己流に曲解して使っているきらいがあるんだけど、アメリカでそういう文芸運動があったと。で、そういうことを調べていったら、中央公論が出してる『海』という文芸誌にね、トム・ウルフが書いた“ニュー・ジャーナリズム宣言”という原稿が載ってたんですよ、常盤新平さんの訳でね。すっごい面白い文章だった。
(『STUDIO VOICE』2006年12月号、p.65 赤田祐一インタビュー)

ツボウチさんの授業で「風流夢譚」の話が出た時にコピーしていたのだけど、最後の1頁がどこかに行ってしまっていたので。

同じ面に「学芸片々」という「文壇」の消息記事があって、そうか、40年前はこういう時代だったのだな、と思う。

どうだ、おどろいたか、という作者の態度は、深沢七郎の「風流夢譚」(中央公論)にいたってきわまっている。臼井吉見によれば、これは革命の恐怖を描いたものだそうだが、革命の残酷も恐怖も私は感得することができなかった。これは一種の人形劇に過ぎない。そういうものとして一応成功しているといってもいいが、それとは別に、この作者が日本革命の未来像について真剣に思いをこらしているなどとは、気弱なインテリの買いかぶりにすぎまい。私はこの作品をゲラゲラ笑いながらよんだ。(略)全体に調子づいている作者の態度が愉快じゃなかった。

ゲラゲラ笑いながら読んだならいいんじゃないの、っていうのは、違うのか。

  • 『読売新聞』昭和35年11月25日付夕刊3面
    • 河上徹太郎文芸時評・上 きめ手のない「女流」―二百三十枚は冗長すぎる」
      • 風変わりな「斉諧」「風流夢譚」

次の「風流夢譚」(深沢七郎氏)は架空の革命をまるで両国の花火見物にでも行くのようにたのし気に書き流し。機知縦横「浪漫的小品その一」と副題でいうとおりのものである。しかし「笛吹川」の武田勝頼が腹を切るように美智子妃殿下が首を切られたり、天皇が辞世をよんだりしては、こだわる読者もあるだろう。

  • 『読売新聞』昭和35年11月27日付朝刊
    • 刃物が少年犯罪を招く 弱虫ほど持ちたがる 護身用で高校生が不良を刺殺した事件も(9面)
    • あすから刃物追放運動 移動展や意見交換会 全都あげて取り組む(10面)
    • ナイフふるった高校生 “親心”から野放し ついに乱闘刺殺事件(11面)
    • 少年の“通り魔”に少女刺され重傷 文京、宵の路地うらで(11面)

少年は右翼だから「人を刺す」という行為に出たわけではなく、ナイフを持つことが(そしてそれを実際に使ってしまうことが)ある種の流行となっていたのだろう。

同本部の調べによると、同夜嶋中氏宅で女中の上野のぶ子さん(二二)が本を片づけに応接間にはいると見知らぬ男が飛びだして来た。男は茶色皮ジャンパー着て一メートル六十センチぐらい、二十五歳ぐらい、ガッチリした感じで髪をボサボサにのばしていた。
見知らぬ男なので声をかけようとすると男が「主人はいるか、おれは右翼だ」と話しかけてきた。上野さんが驚いて奥へ引きかえし、雅子夫人にこのこととを伝えた。
雅子夫人が奥の部屋から出て来ると男はいきなり短刀のようなもので雅子さんに襲いかかった。丸山さんはこれを見て止めようと仲にはいったため、左わき腹を一突きされて倒れた。上野さんは奥へ引きかえして一一〇番に急報した。
同家は、嶋中氏が帰宅しておらず、雅子夫人と女中二人、長男の暁星中学生行夫君(一四)青山学院小学六年生長女留美ちゃん(一二)同次女同小三年恵麻ちゃん(一〇)と夫妻の寝室に次男の赤ちゃんが寝ていた。行夫君が試験勉強のため、離れの洋間にいたが、この出来事を妹たちが知ってかけ込んで何も知らなかった。

      • 若者を殺人に追いやる風潮をにくむ―嶋中中央公論社長談

……私は戦争中から「国体の尊厳」を理解することはできなかった。そのことは赤尾氏らにもはっきりいった。しかしたとえ芸術作品とはいえ、皇太子や美智子妃の実名を書いてこの人達のやりもしない行動を夢の中とはいえ、表現するのは大変失礼であると思う。深沢七郎氏がどのような小説を書こうと自由だが、それを雑誌に掲載したことは誤りであった。このため私は中央公論誌の竹森編集長をケン責処分にしたうえ、編集長の職を既に解任した。……私は「風流夢譚」問題で失礼は失礼とし、年端もいかない人を殺人行為におもむかせるような風潮と言論を激しく憎む。

  • 毎日新聞昭和36年2月2日付朝刊
    • 嶋中(中央公論)社長宅襲わる “右翼”名乗る男に 夫人重傷「風流夢譚」問題か(1面)
      • お手伝いさんは死ぬ
      • 右翼なら“言論侵害”社会党追及へ
    • 識者に聞く 嶋中夫人ら殺傷

浅沼事件にもハッキリ現われたように最近の右翼は野放し状態だ。これでは書きたいことも書けず、いうべきこともいえなくなってしまう。

右翼の実体は知らないが、彼らがしゅん動をはじめたのは岸内閣以後のように思われる。そこには金が動いている。

……この小説に対する反感だけでなく、中央公論社が戦前からとってきた編集方針に反発を感じていたのが、この機会に現われたのではないか。

……こうした事件で反射的に起こるのはどうしてよいかわからないという暗い恐怖感だが、それに負けて自分の思想を後退させることがあってはならないと思う。
そのためにはいわゆる行動右翼というものについての実体を明らかにする必要がある。ぼくは最近の小説(注、政治少年死す、モデルは山口二矢少年)の中で作家が右翼青年に脅迫される場面を書いたが、動機はぼく自身がテレビに出た時、テレビ局へ抗議にやってきたという経験に根ざしている。

      • 東京教育大教授 木下半治氏

事件をきいた最初の印象は、主流的な右翼の犯行ではなく、その周辺にいるアウトサイダーかだれかに使われてやったのではないかという気がする。その意味では河上丈太郎氏を刺した男の場合と似ているのではないか。
(略)
これを封ずるには背後関係を徹底的に洗うより方法がないが、政府の態度は手ぬるい。澤沼事件直後、テロをにくむ国民の声は「刃物を持たない運動」という子供っぽい運動にすりかえられてしまった。暴力根絶を考えるなら、まず資金源を明らかにすることだ。

原因がもし中央公論の小説なら、私の書いた小説がこんな大事件をまき起こすとは夢にも思っていなかった。決して皇室の名誉を傷つけるような気持で書いたものではない。しかしわたくしたちに非難を浴びせるような人が現われたということはわたくしの筆がいたらなかったのだ。殺された丸山さんや嶋中夫人には申訳ない。
(略)
あの小説は政治的なものは一切含まれていなかったつもりだが、そのようにとる人がいるので以来政治的なものは一切避けている.

    • 嶋中邸に躍った“黒い刃” ヌーッとメガネの若い男 “主人留守”に突然刺す 長女の目前で腕や胸を(9面)

二十四、五才、丸顔の男、がっちりした体格に茶のジャンパー、茶か黒めがねが不気味に輝いていた。
男は丸山さんに向って「右翼の者だがご主人は…」と声をかけた。「おりません」と答えると、男は黙って廊下に出た。恐ろしさにたちすくんでいる二人をしりめに、男は廊下伝いにづかづかと奥の四畳半に入り、なにもいわずに雅子夫人の左腕や胸などに刃物をつき刺した。
(略)
目前で雅子夫人の刺されたのをみた留美ちゃんが「ママが刺された」と奥で受験勉強中の兄の行雄君(一五)=暁星中三年=の部屋にかけ込んだ。幸雄君が驚いて倒れた雅子さんのそばにかけよると「すぐ一一九番を…」とだけいって雅子夫人はガックリとうつ伏せた。
(略)
近所の人の話によると犯人らしい男は玄関から表に出て嶋中氏宅前の坂を都電通りの方にかけ降り、姿を消したという。門の近くから近所のソバ屋が追いかけたが都電通りで見失っている。

    • 右翼かぶれの青年か(9面)

しかしこの犯行がこれまでの“右翼テロ”の常識を破り、犯行後に自首しないであわてて逃げたり、女を刺していることなどから本格派右翼ではなく、右翼思想にかぶれた青年の犯行ともみられ、いままで監視してきた団体以外のものについても捜査の手をのばす方針である。

    • 青ざめて……母、※山夫人(9面)

四谷の伴病院はかけつけた中央公論の社員や報道陣でごった返した。そのなかをかき分けるように作家の有吉佐和子さん、三島由紀夫夫妻、評論家の川島武宜※氏、永井道雄氏らが見舞いに訪れた。手術室に入ってみんな心配そうな顔。なかでもいち早くかけつけた母親の※山政道氏夫人、銀子さんが青ざめた顔でベッドにつきっきり。いったん外に出た有吉さんが、ふとんや薬を両腕に抱えて飛びこんでくる。
深沢氏の小説を掲載するのはさしつかえないという意見を出していた三島由紀夫氏は「嶋中夫人には世話になっていました。事件の背景や意味ということより親しい人の事件だということで頭がいっぱいです」と言葉少なに語る。

  • 『読売新聞』昭和36年2月2日付
    • 自称右翼、中央公論社長宅襲う 家政婦刺殺、夫人重傷 短刀で「風流夢譚」なじり(1面)
      • 犯人、20歳ぐらいの青年

……応接間にかくれていた二十歳ぐらいの男がいきなり丸山さんに短刀らしい刃物をつきつけて腕をつかまえ「オレは右翼のものだ、島中社長はいるだろう。だせ」とすごんだ。男は丸山さんに刃物をつきつけたまま廊下を案内させ同家の真ん中にある四畳半の茶の間にはいり、外出から帰ってお茶を飲んでいた雅子さんに「中央公論にのった風流夢譚はけしからん。社長はいるか」とたずねた。雅子さんが「外出中でいない。ウソと思うなら家中さがしなさい」と答えたところ「そういうことをいうなら殺すぞ」といって雅子さんを刺そうと身がまえた。丸山さんがとっさに雅子さんの前に立ちはだかったので、犯人は丸山さんの心臓部を一刺しした後さらに雅子さんの左腕と左胸の二か所を刺した。丸山さんは台所の土間で絶命、雅子さんは台所隣の女中部屋まで逃げて倒れた。

      • ウチにいた少年が気がかり 愛国党総裁赤尾敏氏の話

「ニュースをきいてびっくりした。きょうの昼過ぎにウチで一月ほど寝泊りまりしていたKという十七歳の少年が急に“ヒマをくれ”といって出ていった。Kは長崎生まれで、黒ブチのメガネをかけ、茶のジャンパーを着ていた。性格、行動からみて山口二矢とは違うと思うが、それにしても気がかりだ。自分としてはこんどの事件は民族の生命を守るためには仕方のないことだと思う」

    • 右翼関係者と見る 警視庁、四号配備を指令(1面)
      • 背後を追及 警視総監談
      • 右翼抗議、当局も警戒 風流夢譚
    • 靖国ばあさん”の帰国送別会(8面)

○…日本に帰化して三十三年間靖国神社などで“靖国ばあさん”と話題をまいた阪明子さん(ドイツ名メイ・フォン・ハウレルさん)(六九)のウィーン帰りの日がきまった。
○…昨年春つくられた帰国後援会によって約四百万円の資金が集まり、十二日横浜出港となったもので、一日午後三時から靖国会館でささやかな送別会が開かれた。
○…ドイツ語を習った教え子や神社関係者約二百人が集まり、思い出話に花が咲いた。件の森に象徴される“ヤマトダマシイ”を愛した阪さんは神社から贈られた五月人形のヨロイ、カブトに手をふれ、第二の故郷に別れを惜しんでいた。

    • 島中中央公論社長と一問一答 前にも自宅へ脅迫状 私と間違えた妻の足音(9面)

島中氏 ……家内はこの後、産経ホールで開かれた短歌の会に出席して九時十分ごろ帰宅した。いったん居間にはいったあとひそんでいた怪漢におそわれた。怪漢は家内が帰った足音を私が帰ってきたと思ったらしい。

問い 犯人は右翼の男だと思うか。
島中氏 会社の方で会った人は右翼の五十年配の人ばかりだ。犯人は二十代の若い男だという。社会党の浅沼さん刺殺事件と同じような感じをうける。
問い それはどういうことか。
島中氏 背後に五十代の人がいて、犯人は若い男だというだけでわまってもらえると思うが…。
問い “風流夢譚”についていまどう考えるか。
島中氏 いい機会なのでこの際はっきりさせておきたい。あの小説は美智子妃や皇太子の実名を使って実際やりもしない行動を書きそれが夢だったというのだ。芸術として、たとえいくらすぐれていても書かれた当人には失礼にあたる。私はそう考えて、掲載したのはあやまちだとわび、編集長の竹森清を解任した。竹森君も大病のあとでこのような事故がおこったものだと考える。
問い 右翼の圧力に屈したといわれているが…。
島中氏 左翼の人はそういっているがそんなことはない。この問題とは別に私は戦争中から右翼の書物を読み、また国体についても考えた。しかし私は右翼の人たちのいう“国体の尊厳”についてはいまでもわからない。ともかく現実に生きている人の首をコロコロころがすなどと小説に書くのは自由だが、これを雑誌に発表することは適当でない。いわんや書かれた人が名誉毀損に該当しないという場合にはなおさらだ。

    • “許せぬ暴力”家族傷つけるとは……評論家四氏はこうみる(9面)
      • 御手洗辰雄氏の話
      • わびの“社告”が逆作用 明大教授藤原弘※氏の話

「もしこの事件の犯人が右翼であったとするならば、現在の右翼のレベルとはこんんあものだということをはっきり示している。文字どおり軽薄で精神異常以外の何ものでない。背後関係があるならば浅沼さんを刺した山口二矢以上におだてられた行為というべきだ。戦前の右翼にはこんなバカなことをやったケースはない。いまの自称右翼はあらゆる意味における人間の敵であることを証明したものだ。……」

      • 世論で芽をつめ 評論家坂西志保さんの話

「……このような人の取り締まりはなかなかむずかしいから世論によって芽を摘みとってしまうより仕方がないでしょう。国民全部がそういう自覚をもってほしい」

      • 右翼とすれば血迷ったこと 評論家津久井竜雄氏の話
    • 門閉ざす深沢氏宅(9面)

風流夢譚の作者深沢七郎氏の自宅東京都世田谷区羽根木町一八六六ではこの夜、玄関をとじたまま。付近には北沢署員二人が万一を心配して警戒にあたっている。深沢氏が“風流夢譚”を発表してからは同氏宅に「生かしておけない」という脅迫状が五、六十通も舞い込んでいる。
同氏は昨年十一月二十四、五日ごろから自宅から姿を消し、マスクやメガネで変装し、大阪、京都、山梨などを転々としていたという。
島中邸が襲われたとのニュースを聞いた実弟の貞造さんは「兄は二、三日前、一度もどりましたが…」といっていた。

    • けさ浅草の交番で 右翼少年(一七)を逮捕 嶋中事件 背後関係を追及

小森は二日午前七時十五分、台東区浅草山谷四丁目の浅草署山谷マンモス交番にしょんぼりと入ってきた。立番中の同署堀江邦俊巡査(三五)が「どうした?」ときくと「女を刺してきた。死ななければいいが」といって嶋中邸襲撃についてスラスラ自供をはじめた。直ちに身柄を浅草署に連行、一応取調べて犯人に間違いないことを確認したので、警視庁に身柄を移された。堀江巡査らによると小森は悪びれた様子もなかった。

      • “自首に行った”小森の自供

自供によると小森は犯行後、ジャンパーを脱ぎ捨て、通りあわせた都バスに飛び乗り、池袋のひとつ手前で下車、近くの理髪店に入り、頭を坊主にした。
「昔は犯罪を犯したものは皆坊主になった」という理由からだった。その後地下鉄と都電を利用して山谷へ行きここで簡易旅館に泊り自首するために交番に行った。

      • 事件前まで赤尾党首宅に住込み 副検事の長男

自供によると、両親は長崎市桶屋町九に住み、父親は諫早区検副検事である。小森はその長男で、県立長崎東高校を二年で中退。去る一月三日大日本愛国党に入党、東京台東区浅草公園一区七号の大日本愛国党党首赤尾敏氏宅に住んでいた。一日離党届を出して同家を飛び出したばかりだった。

      • あらゆる手段で右翼を絶滅 社会党声明
      • 暴力徹底排撃 自民益谷幹事長談
    • 愛国党を解散か 党本部を捜索

この事件は第二本愛国党赤尾敏総裁が背後から糸をひいていたという公算が強いと同地検ではみており、赤尾総裁をはじめ党員全員(現在七、八人)を取り調べる。問題は赤尾総裁らが「風流夢譚」についてどのような発言、批判を行い、小森の犯行にどんな影響を与えたかという店で、浅沼事件より殺人教唆の線は強いとみられる。
公安調査庁はすでに同党を破防法による調査指定団体としており、捜査結果によっては解散命令を発することも予想される。

    • あす両院で緊急質問
  • 『読売新聞』昭和36年2月2日付夕刊
    • 中央公論社長宅 襲撃犯人つかまる 17歳の元愛国党員 散髪して山谷の交番へ(1面)

一日午前十一時ごろ「右翼生活は性格に合わない、いなかに帰る」といって愛国党本部をで、その足で島中邸に向かった。夜にるまでな同邸の付近をぶらつき、犯行直前の一日夜九時ごろ同家正面の門から邸内にはいり、カギのかかっていない玄関のドアをあけて応接間に忍び込んだ。
真っくらな部屋の中で、しばらく立ちすくんでいたが、女中がはいってきたのでいきなり立ちふさがり「奥さんか」と声をかけて刺した。犯行をやってから同邸を逃げ出し付近に凶器の登山用ナイフを捨て停車していた池袋駅ゆきの都バスに乗り込んだ。

    • あいまいな動機 衝撃的犯行か(1面)

警視庁では動機についてハッキリとした行動理念などはうかがえず単にテロムードに躍らされた無目的な犯行との見方を強めている。……山口二矢の犯行にくらべるとはるかに無計画で、また「風流夢譚」をどの程度理解したのか疑問であるとしている。それだけに犯人は単に小説の字句の上から天皇軽視という見方を持ったものらしい。
「島中を殺したいと思っていた」といっているものの、島中邸では見さかいなくナイフをふるいしかもその当時の記憶もはっきりしないなど、非常に衝動的なやり方で、また犯行後も「相手が死ななければよいが」と後悔するなど、行動そのものも矛盾にみち、当局では「知能的に欠陥があるのではないか」という見方さえしている。

    • 愛国党捜索(1面)
      • 脱党は偽装?警視庁、背後追及

警視庁では、小森は浅沼事件における山口二矢のように自分の判断で行動できるほど右翼教育が進んでいない。したがって犯行当日になって突然同党から脱退したことも偽装の感じが強く、殺人ロボットのように背後からあやつられて行動したとみており、背後関係の捜査に全力をあげている。

浅沼事件の犯人山口二矢も事件前大日本愛国党にいたことがあったが同党の主義主張は何か。警視庁の調べによるとつぎの通り。
①保守勢力の分裂離間を策する赤の政治謀略にのるな②保守合同を枢軸として民主愛国の一大国民戦線を拡大し、一切の共産的人民戦線を一掃せよ③憲法改正再軍備を断行せよ④中ソの貿易攻勢に赤い針があり、不可侵条約は日本をだます手だ。日ソ中立条約の愚をふたたびくり返すな⑤共産革命絶対反対、愛国維新断行、戦闘的民主主義の勝利など十三項目にわたり徹底した反共の立場をとっている。

「一月三日紹介者もなくフラリとやってきてわたしの主義に共鳴したからといっていた。断われば行くところがなく食いつめると思って本部で宿泊することを認めた。愛国党は3か月本部で訓練してから入党させることになっているので小森は仮党員だった。山口少年や小森少年がわたしのところからでているので、愛国党はテロリストの養成所とか、わたしが暴力団の親分であるような印象を与えているが、思想戦でみずから守るためには、それも仕方ない」
なにが「仕方ない」のか、さっぱり分からない。

    • 少年小森にこう考える 育った妙な正義感 山口のケースとそっくり(6面)

この国体という“観念”を傷つけられたように思った肉体的にも心理的にも最も不安定な十七歳の年齢がカッとさせられたのだろう。そうしていかにも戦後派少年らしいやり方でやった。
また山口少年の父親の“軍人”こんどの副検事という法律家。共通した妙な正義感をもつ家庭が想像がつくようだ。
「戦後派少年らしいやり方」とは何か。「妙な正義感」とは何か。

私が十七歳だったときの日記をみると、きょうは戦後学生の手記“きけわだつみの声”の反戦的なさけび声に感動しているかと思うと、あすは自爆に出かけていく特攻隊の覚悟に感嘆している。十七歳はからだだけでき上がったこどもです。……いわば自分のからだと心の中に暗い要素をもっているのに少年たちは気づかない。
……右翼少年といってもあすは左翼に変わることができる。だから右翼少年に対しては誤ちを犯すおそれのあるいわゆる“ぐ犯少年”と同じ保護観察の扱いがあっていい。
私自身、十七歳のころ身辺に右翼がいたら右翼になったかもしれない。私は性欲や名誉心など暗い情念に苦しめられた十七歳の左翼少年が右翼に飛びこんでスッキリするという小説(文学界一、二月号「セブンティーン」「政治少年死す」)を最近書いたら右翼から抗議がきた。……作家も一市民だから身辺をおびやかされると恐怖感がはげしくなるのは当然だ。だからといって書くことをやめる筋合いではない。作家を本当に沈黙させるには文章で沈黙させるほかはない。


少し大江健三郎に興味が沸いた。

      • 予測できないのはおかしい 評論家大宅壮一氏の話

……山口二矢と同じ十七歳、しかも家庭環境は“自衛隊”と“副検事”と似ている。私はこの二つのことから戦争中の予科練を思い出す。右翼の予科練。この中からつぎからつぎへと特攻隊が飛び出して行く。なにしろ、右翼団体の本部は基地みたいなもので、教官がおり、攻撃目標を教えまた右翼の人たちにとって愛国心と呼ぶ熱狂的なエネルギーをはぐくみ育てていくのだから始末におえない。

      • なまぬるい政府の暴力追及 東京教育大教授木下半治氏

……政府はすぐ“結社の自由”をもち出すが、政治的、社会的に必要かつ存在理由をもつ団体だけにこの自由がある。ここをはき違えると“山口に続け”のスローガンが生きてしまうだろう。

    • 英雄気取りの少年小森(7面)
      • ポケットに「辞世」 一見内気で父は副検事

小森一孝は長崎県諫早区検副検事をしている小森義雄氏(五三)の長男。長崎県立長崎高校を二年で中退、昨年九月家出し、名古屋でパン屋の工員、横浜で港湾労務者などをやったのち上京した。大日本愛国党赤尾敏氏の話によると、昨年十二月まで横浜で沖仲仕をやっていたがことしの一月三日赤尾氏の主義主張に共鳴して同氏のもとへやってきた。
(略)
郷里長崎には副検事の父のほか、小学校教師と長崎原爆病院に勤める二人の姉がいる。高校時代の成績は中程度だった。

      • 三年間も両親と別居 “最近のことは知らぬ”と小森の父

―一孝が東京に出てきたのはいつごろか。
長崎東高二年に在学中、休学のようなかたちでやめてしまい、昨年夏下宿をとび出してしまった。はじめは名古屋方面にいたがことし東京に行ったのではないかと思う。
―家出の原因はなにか。
なんの相談もなかったし見当もつかない。置き手紙もなかった。
―東京での行動を知っていたか。
手紙もほとんど来ないのでなにをしているのかわからなかった。
―むすこさんの性格や思想はどうだったか。
―一孝は長崎市に通学のため下宿しており三年ほど別居していたので最近のことはわからない。くわしいことはかんべんしてほしい。

    • 立ち番中みつける(7面)

堀江邦俊巡査の話。
職務質問すると中央公論社の犯行をあっさり自供、身体検査すると血のついたハンカチもでてきて間違いないと思った」

    • 捨ててあった凶器を発見(7面)

……島中さんの家から約二百メートルはなれた新宿区市ヶ谷田町二の一貸し衣装屋清水市三さん方のヘイのなかに投げ込まれているのを発見……刃渡り十八・五センチ、幅二・五センチの新しい登山ナイフでニギリにはハンニャの模様……

    • 深沢氏電話でおわび(7面)

島中さん宅に一日夜遅く……深沢七郎氏から「警視庁が外出しないでほしいというのでお見舞いにはお伺いできません。とんだことになってしまって申しわけがない。後日お目にかかって―」と電話があった。

    • “まるで殺人機械”背後にこれを是認の風潮 島中氏談(7面)

「犯人が十七歳の少年だったことはそれほど意外ではない。犯人は山口二矢のような男だと思っていた。子どもか精神異常者でなければなんのかかわりあいのない妻やお手伝いさんを殺すはずがない。……犯人の少年に対し私はなんの恨みもにくしみも感じていない。殺人者というより殺人機械という感じだ。……」

  • 毎日新聞昭和36年2月3日付朝刊3面
    • 社説「暴力は根絶できないか」テロを育てる空気/テロ根絶の国民運動を
  • 『読売新聞』昭和36年2月3日付朝刊
    • 右翼テロ、再び焦点に 今日両院で緊急質問(1面)

警備責任を追及 自民強い総監辞任論/破防法適用せよ 社民/破防法はむずかしい 政府今日も対策協議/あらゆる角度から早急究明 大平官房長官談/国会に特別委設置 社党提唱

また右翼だ。また右翼だ。またテロだ。そうしてさらにまたまた犯人は「十七歳の少年」だ。いったいこれはどういうことなのだ?しかもこの少年は浅沼事件の犯人と同じく赤尾敏氏のところに身を寄せていた者だという……浅沼事件といい、こんどの事件といい、犯人が少年だということは深く考えねばならない。例によって「背後関係」が洗われるだろう・そうしてさらに例によってそれはウヤムヤになるだろう。しかし十七歳の頭脳のヤワな年代に狂犬的テロをあえてさせるような影響を与える集団の反社会性は、きびしく責められなければならぬ。

    • 恐るべき“17歳”(11面)
      • 戦後二つある新しいタイプ 法大教授 乾孝氏

戦前の子どもの成長の仕方は過程や社会の環境が固定していたために心理の発達の状況もタガにはまった「エスカレーター式」といった経過ですすんできた。……
これが戦後になるとテレビなどのマスコミを含めた商業主義のおかげでこれまでの子どもの世界がこわれ、おとなの世界がはいりこむようになった。このため“タガ”ははずされ青少年の視野や行動範囲が広がり、……結果としては新しい環境に適応しようと新しい性格ができてきた。ひとつはガメツイほどの自我を主張することで、ひとつはホーム・ルーム、クラブ活動などで養われた横のつながりで結ばれた仲間と手をつないでいくことだ。
アメリカではこの新しい性格をレーダー型と呼んでもいるが、自分の仲間に常にレーダーをむけて、自分の評判はどうか、現在の世の中はどうかということをキャッチして、自分の立場や進む方向をきめていく性格としている。……
こうした新しく作られた性格からみるとこんどの犯人も山口二矢も転校などで“手をつなぐ友だち”を持てなかったことが大きな原因だといえる。……話し合いの相手がいない不安がレーダーにひっかかったものがゆがんだものでも“仲間”がわりにとびつかせてしまったのだろう。とくにこの“仲間がわり”がオピニオン・リーダー(意見の先導者)であった場合、影響は大きいが、犯人の“仲間”が右翼であったことが不幸だったといえる。
(略)
一部に掲載に対する反抗心からでたものとする意見もあるが、反対だ。どちらかといえば犯人はより権威主義的な人間だ。“天皇”といった大義名分に安心立命していることからみてもわかる。現代の若者なら“オレはやりたいからやったんだ”というだろう。犯行後頭を坊主刈りにするなど伝統にすなおな青年がまちがって現在に生きたといったところだろう。

      • 説得よりも断定 “弱い頭脳”に魅力 法大講師 早川元二氏

犯人が十七歳であるところに問題がある。われわれが少年のころは少年雑誌を読んで佐藤紅禄氏など「あゝ玉杯に花うけて」などという少年小説で、社会を一度かみくだいてわれわれの眼に入れてくれた。いまの少年は社会が直接かれの中にはいりこむ。
われわれの少年時代、浜口首相が緊縮財政をやってもすぐ首相はけしからんと考えなかった。いまの少年はすぐ岸首相や池田首相の顔を思いうかべ政治がけしからん、社会がけしからんと考える。むかしわれわれが最初の権威である父を否定したのは中学一、二年ごろだったが、いまの少年が父親に反抗するのは小学校二、三年で、中学二、三年生になると総理大臣が相手だ。政治がいかん、おやじの月給が安いのは社会が悪いとなる。
……かれらは父親のような四、五十代の人のように“ああでもなければこうでもない”といった説得よりは、もっと古い人の「こうしろ」という断言的な判断に魅力を感ずる・小森少年も「ハイ、ハイ、その通りします」と家庭ではいい子だったらしいが父親を否定し※従腹背、自分のしたいことをやった親子の関係は全く断ち切れている。
そういう意味で現代の十七歳ごろの少年の一部は孤独で、より強い結びつきを求めて全学連へはいるものもあれば、右翼団体へはいるものもある。ところがその団体にはいっても将校でも下仕官でもなく兵隊である。……
小森少年の場合、小学校へはいったときが逆コースがはじまったころで、家庭には前身が警察官の副検事の父がおり、反動的なムードが日常の間にもあったかもしれない。……

    • 精神分裂症で通院 去年の小森 実母と姉はともに自殺(11面)

【長崎発】小森一孝は父が台湾で警察官をしていた当時台北で生まれ、戦後家族と一緒に引き揚げてきた。家族は三人の姉(三女は死亡)を持ち末っ子。長崎東高校時代友だちもなくノイローゼ気味といわれ、昨年四月父親に連れられ長崎医大精神科で診断を受け通院していた当時、精神分裂症と診断されている。
また実母のたつさんも精神分裂症で二十二年四月の秋入水自殺、三女の弘子さんも同症状で三十二年長崎医大に入院していたが、三十四年八月同病院で自殺しているなど一孝にも先天的なものがあったと同医大はいっている。

「……少年の言動をみても神経衰弱がかなりひどいが白痴やきちがいではない。いわゆる心神喪失心神耗弱者ではない。……」

    • 背後関係を追及 近く赤尾氏の出頭求む(11面)
    • 警察当局、五度の黒星 暴力事件・後手、後手にまわる(11面)

……かぞえてみれば毎日新聞社襲撃事件いらい安保反対闘争最中の河上社党代議士、岸信介氏、そして衆院選挙をひかえての浅沼委員長刺殺事件、こんどは言論界にまでその手をのばし島中中央公論社社長宅を襲撃、家庭の婦女子まで死傷させるなど、警察当局の方針はそのたびに後手後手をふんで、右翼対策に関するかぎりは黒星の連続である。

  • 毎日新聞昭和36年2月7日付朝刊11面
    • 風流夢譚 苦悩を語る深沢氏 “こんな誤解招こうとは 書き方が悪かった” やつれたホオに涙流して

風流夢譚を書いたのは昨年九月半ばだったが、十月十四日の中公第五回新人賞受賞パーティーの席上嶋中社長から「掲載には反対だ」といわれながら、深沢氏自身が他の雑誌に出すかもしれない、といったため急に締切前日になって中公に掲載されたという。
「あの小説は諧謔小説なんです。それが、いろんなことになり、何の関係もない女の人まで死んでしまうようになったのです。みんな因縁なんです」―そして、どこがいけなかったと自問しながら深沢氏は「実在の人物をモデルにしたのがいけなかったんです。それに下品な言葉をつかったこと…。「楢山節考」にも「笛吹川」にも私の小説は家の中で話すような言葉で書いています。それが私の文章なんです。学問的とか文学的な文章ではありません。それが誤解を招いたのだと思います。そんな制約(右翼の反対の意味)があるのを知らなかったんです。こんどはじめてわかりました。私の書き方が悪かったのです」と言葉をつづける。
そして「小説を書くなら私にはそんな言葉のものしかかけない。私の書きたかったのは、むかしの革命のことだったんです」―ここまで話してホッと一息ついた。
(略)
ホオをつたって落ちる涙をぬぐおうともしない深沢氏。心の底をつきあげる深い苦しみにもだえるような表情だった。
―家族との生活は?いまどこにいるんですとの問いに「きかないでください」と訴えるようつぶやき、約二十分間の会見が終ると、護衛の刑事に抱えられるように部屋を出た。嶋中事件の渦中の人、深沢氏はとても自分の足では歩けないほどクタクタに疲れていた。

    • 愛国党本部を再捜索
    • 霊前にワビて焼香 小森の父親丸山家を訪れる

がっくり肩を落し人目をさけるようにそそくさと嶋中社長宅の玄関を入った小森氏は奥の四畳半に通され、嶋中社長と二人きりで会った。その間、約四十分、話が終わって嶋中氏に案内され、凶行のあった応接間に入り丸山さんが倒れた辺りをしばらく見入っていた。
そのあと記者会見のためソファーに二人並んで座ったが、小森氏は事件以来の心労で目はくぼみ、ヒゲものびたままじっとうなだれた姿は痛々しい。
その足で小森氏は新宿区水道町三八の丸山かねさんの遺族朋太郎さん(六二)宅を訪れた。「許されるならお焼香を―」というおわびの言葉に朋太郎さんは「どうぞ」とすすめたが小森氏が差し出した香典にはきっぱりと「仏も喜ばないでしょうからどうかお持ち帰り下さい」と断わった。

    • 作家への脅迫被害など調査 文芸家協会
  • 『読売新聞』昭和36年2月7日付朝刊11面
    • “島中氏は掲載に反対”風流夢譚深沢氏、泣きながら事情語る

「深沢さんから申し上げたいことがある」という電話で集まった記者たちは、さらに別の場所へつれていかれた。建て物の入り口には数人の私服の刑事らしい男たちが警戒していた。エンジ色のシャツを着た深沢氏が小さな部屋にションボリすわっていたが字嫌悪あとどうしていたか―という最初の質問には答えず「あの小説が掲載されるまでの本当のいきさつを聞いて下さい」とポツリポツリ話しはじめた。
それによると九月半ばに書き上げた「風流夢譚」を中央公論にもっていくと、返事がなく、十一月十四日同社の新人賞受賞パーティーで島中社長から「小説読んだけど大反対だ。あなたのプラスにならない。あれは私があずかっておく」といわれビックリした。ほかの雑誌に出したいと思い、竹森編集長に返して下さいといったら締め切りの前日掲載がきまった。

    • 愛国党再び捜索
    • 小森の父がおわび 丸山さんの霊前に焼香