太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』

集英社新書 2006.8
芳林堂書店高田馬場店にて購入

  • 葛藤と礼讃

まず最初の章で、「この問題に深くコミットしてい」る「宮澤賢治の思想を鏡にして」、「いまの日本人にとっていちばん大きな問題となっているこの憲法」について考えることから始めている。どういう点で宮澤賢治が鏡になりうるのかというと、「あれほど動物や自然を愛し、命の大切さを語っていた賢治」がいる一方で、「田中智学や石原莞爾のような日蓮主義者たちの思想に傾倒していった」賢治がいる、ということだ。つまり、一方で非常に純粋な理想を持っていた宮澤賢治が、一つ身であの戦争へとつながるような思想に傾倒していったという点においてである。
まぎれもない正義だと信じてとった行動が、結果として悲惨な結末を迎える可能性が存在する。その可能性について真剣に考えるのでなければ、憲法九条を礼讃するのも声高に改憲論を唱えるのも、結局あの戦争の悲劇から何も学んでないのではないか、ということだ。そこには、「憲法九条を世界遺産に」と言いながら、自分も65年前に生きていたら、あの戦争に積極的に参加してしまったのではないかという太田の危機意識がある。その可能性について真剣に考えることなしに語るのであれば、護憲であれ改憲であれ無意味だ(つまり、そこには何のリアリティもない)と感じる太田を、僕は支持していた。
しかし、話が憲法九条自体に及ぶと、そういう葛藤は姿を消し、ひたすら憲法九条礼讃である。これは「自分が好きな芸人が憲法九条を礼讃しているという事実」を批判しているのではなく、さっきまであったはずの葛藤が姿を消していることを批判したいのだ。
イラク戦争以後の世界で、特にイラク戦争を痛烈に批判している太田にとって、この葛藤は非常に重要なはずだ。「イラクに自由と民主主義を!」という理想・正義がもたらす悲惨さを批判する太田は、平和憲法という理想が、一方で現実としてどういう現状をもたらしているかということを考えなければならないはずだ。なぜ、日本国憲法がたとえアメリカからの押し付けであっても、それが「あそこまで無邪気な理想論」だという理由で是認されるべきであるなら、イラクにおける「無邪気な理想論」も是認されるべきではないのか。

(先に断っておくと、僕は智学についても宮澤についてもほとんど知識はないので、本文中の説明から考えたことでしかない。)
「田中智学の思想が、日本人が明治の開国以来感じ続けていた違和感に、ぴったりの表現を与えてしまったから」宮澤は智学に傾倒したのだと中沢新一は語っている。開国以来感じ続けていた違和感というのは国際的には「脱亜入欧」による諸々であり、国内的には「時代閉塞の現状」であり、つまるところ近代化によって生じた矛盾であろう。これを解消しうるものとして、宮澤賢治は智学の思想に傾倒していき、その思想が行き着いた先があの戦争であった。
その解消法は、近代から前近代的な共同体へと戻るというものだった。しかし、その矛盾は解消されないまま時代は「戦後」になった。その矛盾の解消を目指したのが、ぽすともだーんなひとであり、その一人が中沢新一であろう。しかし、ぽすともだーんな相対主義は、むじゅんなんてないんだ!と思うことには役立っても、矛盾の解消をもたらすことはできなかった。改憲、うん、いいんじゃない?僕は護憲だけどね。これなら一見矛盾は解消されたかのようにみえるが、国家が、いや政治がある限り、選択されるのは一つである。だからこそ、諸々の理想や正義のあいだの相関を考えなければならない。
そういうことを考えなければならないんだという決意が、冒頭の太田の発言には感じられた。だからこそ、その対談相手が中沢新一であることが不思議でもあったし、ぽすともだーんではない中沢新一がみられるのかと思って(なんて書いているけど、中沢新一の本を読んだことがない。読んでないのにこうやって決め付けて語るのは、いかんね)期待していた。なのに、この対談は、「矛盾を受け入れよう」と言いながら、受け入れることなしに、あるいは改憲の正義と憲法九条の正義との関係を考えることなしに、礼讃に終始している。そこが残念でならない。