…なんて書いてても仕方がないね。でも、人に相談できるくらいなら、それってもう悩みじゃないよね。こうやって文字にしてる時点でどうなんだよお前、っていうのはあるけどさ。
そろそろ梅雨なんだろうか。あいかわらず部屋にいる時間は長いんだけど、ニュースは前にも増して観なくなったから、全然分からない。天気予報もチェックしない。そんなに長時間出かけることもないし、こうしてずっと向かってる机はベランダのすぐ近くにあって、いつでも空が見渡せるから、なんとなく天気の移り変わりはつかめるから、チェックする必要も少ない。
うちのベランダの窓は真冬以外はつねに開けっ放しだ。今日は入ってくる風が冷たくって、でもそんなにじっとりしていなくって心地良い。誰かが置いていった鼻パックがあるから、使ってみようかな。でも、鼻パックを置いていかれたのは、『てめえの鼻、汚いんだよ。鼻パックぐらいしろよ』というメッセージだったらどうしよう。いやどうもしない。たしかに特に手入れもしてないし(俺が丹念に手入れをしていたら、それはそれで気持ち悪いけど)、色も白めだから、目立つのは目立つ。
わりと冗談で言っていることは多いんだけど、冗談として通じていないなと分かるときが多い。面倒くさいし、もし通じていたらアレだし、流れもあるからいちいち訂正しない。何の意味も脈絡もない冗談だから、冗談になっていないといわれるかもしれないけどさ。冗談といえば、最近名刺をもらうことが増えたのだけど、もらうばっかりだ。つまりこちらから渡す名刺がない。特に必要だとも思わないんだけど、というか渡すほどの肩書きはないし、職業俺です、と言えるほどの人間でもないから、ちょっとまだ作りようがない。名刺を渡されるような場所に行くからには、名刺を持っておかないと失礼なのかもしれないけど、ちょっと無理だ。
坪内さん、と名前を出すのは申し訳ない気もするし変にメッセージっぽくなるのが怖いんだけど、の「天声人語」はすごく面白かった。最近ごにょごにょしているときに、ついメールで連絡を取ろうとしてしまうことに気がついてハッとした。電話かけるのは怖い。坪内さんだとなお怖い。電話番号を知っていても、ふらっとかける気にはならない(誰にだってふらっと電話かけることはないんだけどさ)。こういう人(という書き方は失礼か)がいるうちに色々興味を持つことができて本当によかったと思う。どこかで端境期があって、その境の向こう側を、感覚的にはっきりと認識できない俺が、その向こう側を知る手がかりになる。そういえば『QJ』の編集長が次号で変わって、それに伴って今月で「東京」が終わってしまった。さみしい。坪内さんが「小説書かないんですか」と聞かれているのを何度か目撃したことがある。まあ、小説ではなかったけど、遊歩者が自分と街との記憶(というか関わり)について書いていたら文学になったという、すごく良い連載だった。単行本にならないかなあ。まぁ、『QJ』全号持っているから、いつでも読み返せるんだけど。
土曜日は久しぶりにザゼンボーイズのライヴだ。さあ、ベースが変わってどうなるのか。少し緊張している。