風邪を引いているあいだ、川崎長太郎を読んでいた。『もぐら随筆』が文芸文庫から出たときに買ってはいたけれど、あまり面白さが分からずほっぽりだしていた川崎長太郎であるが、いま読んでみるととても面白い(そんなに時間は経っていないけど)。読んだのは『もぐら随筆』ではなく、『川崎長太郎選集』。
それにしても、カフェーの女給と恋仲になってばかりいる。これは、この選集の選者が吉行淳之介だからかとも思ったけど、カフェーの女給がやたらと客の話し相手になっているところを見るに、カフェーっていまと随分違う感じだったのだなといまさらながら思う。
それで、そういうことをネットで検索していたら、神楽坂は花街であり、カフェーやダンスホールといったモダンな時代がやってくると過去の街になっていった、というようなことが書かれてあった。そして、大宅壮一の「神楽坂は全く震災で生き残った老人のような感じである。銀座のジャズ的近代性も無ければ新宿の粗野な新興性もない」「あの相当長い道りにカフエーらしいカフエーが一軒も無い」という文章が引用されている。
ところが、川崎長太郎の「路草」では、一緒に名古屋まで出奔した女給と東京に戻り、彼女が「K坂」のカフェーで働くくだりがある。

K坂界隈はカフェの多い所で、四軒に一軒くらいの割合で女給入用の紙が店頭に貼られてあり、この紙は外出した私の眼をいつも針のようにさし、そして妙な気安さを感じさせていた。

「K坂」といって思い浮かぶ地名は神楽坂くらいである*1。あくまで「創作」なのか、それとも神楽坂ではないのか。

追記

投稿したあとで、自動でリンクされたキーワード「カフェー」に飛んでみると、

明治末期から昭和初期頃、流行した飲食店の形式。
現在のカフェ(喫茶店)とは違い、ホステスが酒などを提供した。現在のクラブやキャバレーに近いという。

と書かれていた。

*1:wikipediaを参照すると、神楽坂という町名になったのは1951年になっている。この引用箇所が発表されたのは昭和8年。んん?