あちらの方で、吉行淳之介の「盛り場と孤独感」という文章を引用した。

都会の子というのは、とにかく賑やかな場所が好きなくせに、その賑やかな場所にひそむ孤独感を楽しむ性癖も強いようだ。そして、デパートというのはその好みにふさわしい場所である。なぜなら、たくさんの客はそれぞれ自分自身の買物のことで頭が一ぱいで、傍らをかえりみることをしない。こちらに注意を払っているのは、売子だけである。

この部分を目にして、そうか、都会の子にはそういう感覚があるのかと驚いた。
それからしばらく経って、加能作次郎「世の中へ」を読んだ。主人公の恭?が、父と継母のもと(富来)を出奔し、伯父を頼って京へ出る。学問をさせてもらえるものだと期待していたが、伯父は恭を丁稚や下男として扱う。そうして一日中店番をさせられるのだが、そのときの描写に興味を惹かれた。

それは如何にも単調で退屈であった。往来の繁華さは、最早殆ど私の感興を牽かなかった。只だ同じ様な人と車との目まぐるしい雑沓だけだった。いつも同じことだった。何事も起こらなかった。
加能作次郎『世の中へ・父の匂い』講談社文藝文庫、p.94)

もちろん、この二つの文章をそのまま比較するわけにはいかない。盛り場で色々買ってもらったりちやほやされたりすることがあったのに対して、さっき書いたように作次郎は学問をやりたかったのにそれが許されず、ただただ無為に店番をしていなければならなかったのだ。
でも、そういう違いあるにしても、盛り場の中にある孤独な空間を楽しむ嗜好を持つ吉行と、盛り場の脇にある孤独な空間に耐え難い苦痛を覚えるばかりの作次郎とでは、田舎の子である僕は、後者により親近感をおぼえる。