週刊文春』11月30日号

近所のコンビニで購入

  • 広角ワイド 天狗になっちゃって
    • 荒川静香モデル気取り 美人キャラってどうなのよ(p.28)

「……“クール・ビューティー”といっても、正直アスリートにしては美人、というレベル。……」

えっ?

    • 朝日がモテ囃す「詩人経営者」に憤る作家のタマゴたち(p.34)

自費出版の世界では「百冊売れる本はあまりなく、五百冊も売れれば大ベストセラー」(業界関係者)という。甘いセールストークで“作家の卵たち”を惑わしてもいいものか。

えっ、文藝春秋社の人間が、自費出版で本を出している人を「作家のタマゴ」だなんて呼ぶわけ、と思ったら、p.110を見て、文春でも自費出版を行っていることを(いまさら)知った。

この欄をあまり信用していないくせに、この欄で取り上げられた「語録」をもとに判断するのは間違っている気もするけど、宮崎哲弥が「大人というのが、この二十年「いじめ」が悪だと、絶対的に言ってこなかった気がする」と言ったそうで。ゾノは大人じゃなかったんですね。
で、ちょっと調べてみたら、ゾノのCMはちょうど10年前(10年なんてあっという間だね)。当時前園は23歳だし、まだ輝いてた時代だから、学生からすればじゅうぶん大人だと思うんだけど、どうなのよ。そのCMが流れていた時期に学生だった人間なら、ほとんど覚えていると思う。それでも23歳は大人じゃないのか、それとも評論家とかでなければ大人であると認めないのか。

その宮崎哲弥が、

法学と宗教の本は不当に排除されている。この国では、いまだに文芸や人文学がメインストリームなのだ。

と書いている。これは俺の感覚がアレなだけかもしれないけど、でもやっぱり、どう考えても「文芸や人文学が知のメインストリーム」とは言えないだろう。人文学の本が、文芸書が、どれだけ売れなくなっていることか。大型書店あたりでも、文芸書は上のほうの階へと移動しつつある。それに、宮崎さんが学生の頃はまだ週刊誌や新聞で文芸方面のことが大きく扱われていただろうけど、すっかり縮小している(「文壇動向」のようなものが新聞に載っていることは、いまでは考えられない)。
それに、宗教書はアレにしても、法学書は売れているだろうに、なぜ「排除」されているなんて書くわけ?と思ったら、宮崎さんにとって「知のメインストリーム」ということは新聞の書評欄に取り上げられたりすることらしい。学術書なんて取り上げられることは(社会科学に限らず)少ないだろう。「然るに『新書365冊では「法と自由」の章が設けられ、「様々な傾向、立場のものがバランスよく」取り上げられて嬉しかったとのこと」なんていう自分への褒め言葉を原稿として載せる意識ってどうよということはさておき、その章で取り上げられている本のラインナップを見ても、「不当に排除されている」本ということはない。
宮崎さんの頭の回転速度が速いことは認める。『新書365冊』での手際のよさも。でも、ただのブックガイドであって、そこで紹介されている本を(宮崎さんの文章によって)読んでみたくなるとか、その本(本たち)の向こう側にある大きななにかが見えてくる、ということがない、ということは、今週の『文春』とは関係がないから、またいずれ。

おお、大田弘子だ。

安めぐみがどういう風にメディアの露出をしてきたのかっていうことと、東京タワーが発売された時期とを並べて考えれば、こういういい加減な記事は書けないと思うんだけど。こういうページを埋めているだけの記事をみると腹が立つ。

しかも、(グラビアアイドルは―俺註)売れてもせいぜいバラエティ「下世話」担当。モデルのはなや木村カエラ等の、美味しいお茶を淹れたり、キレイな写真を撮ったりして、素敵なライフスタイルを啓蒙する、「お文化」要因には決してなりえないのである。

はなはまだしも、木村カエラは違うだろ。

彼女(安めぐみ―俺註)の特徴は、その仕事の幅の広さだ。グラビアアイドルとして肢体を披露する一方で、下品なバラエティには出ず、お昼の主婦向けワイドショーのコメンテーターを務めていたりする。

「トゥナイト2」は主婦向けだったのかい?「内P」はいわゆる「下品なバラエティ」(俺はそう思わないけど)じゃないのかい?