『文藝春秋』2006年4月号

セブンイレブンにて深夜3時に購入
目当ては“もちろん”、内容を少しだけ伺っていた人世天語だ。

「今年の受講生の平均年齢」の「二十一歳」よりも2歳上な僕としては、「学生たちの雰囲気が微妙に変わった」ということに、ちょっと反発したい気持ちになる。
携帯電話の普及は一九九〇年代半ばである。ということは彼らが物心つく前だ。つまりそれ以前の不便の時代を知らない。
そして物心ついた頃には、パソコンやメールが当り前の物になっている。携帯やパソコンは単なる道具ではなく、もはや身体の一部になった。
コミュニケーションのとり方も、前世代とは異なってしまっただろう。(p.428)

携帯電話がいつ普及したのか、僕はよく分からない。だけど、僕にとって、携帯電話が普及したのは「物心つく前」ではない。中学生の頃に携帯電話を持っている同級生なんていなかった。せいぜいポケベルだ。それも同級生で持っている人はいなかった。2つ上の先輩が、部活を見に戻ってきたときに持っているのを見て、へぇ、便利なものがあるんだな、と思っていた程度だ。
高校に入って持っている人は少しずつ増えてきたけど、それでもまだ全員が持っているわけではなかった。実際、僕が携帯電話を買ってもらったのは高3の正月だったし、それまでは「学生に携帯電話なんて必要ない」と言っていた。今では携帯電話を使いまくっているし、こないだ京都に行ったときなんて携帯電話を落としただけですっかり行動がストップしてしまったくらいだけど、そういう時代もあったのだ。
と、いくら書いたって、僕は「平均年齢」から外れているのだから、対象外ではあるのだけど。
後半のブログの話は、なんだか懐かしさすらおぼえる。5月11日に、こう書いている。

5限の坪内氏の授業に出て金城庵に。遠くで急に俺の名前が出てるなーと思ったら、授業の内容を(間違った理解で)blogに書いてる人がいるっていう話で、俺もblog書いてるって話になったらしい。あれ?俺容疑者?

文体がいまと違うのがちょっと恥ずかしいね。「坪内氏」、だって。まぁ、このときの距離感では、「ツボウチさん」ではなくって「坪内氏」だったのだろう。この日にはもう、ツボウチさんが言及していたブログがどのブログであるか、見つけ出していたと思う(だから何だ)。このブログ、というか、exciteで書いているブログだって、編集者の目を通していないブログでしかない。その分、細心の注意を払って書いているつもりではある。つもりでしかないが。
今月号には「「日記読み」達人が選ぶ三十冊」という鼎談も載っている。ここでもブログについての言及がある。

坪内 そういう意味では、きっと日記とは近代のものだったんでしょう。だから、日記からブログへ。この流れは止められないと思います。日記は、過去から現在、未来へというひとつの流れの中での作品ですが、それがポスト・モダンだと常に永遠の現在で、瞬間、瞬間だから、やっぱりブログになってしまうんじゃないでしょうか。(p.341)

僕は、「ブログというメディアの可能性」なんてことを言いたいわけではないのだけど、それはブログというメディアが孕んでいるものから生み出されるのだろうか。日記/ブログという違いなのか、日記的ブログというものは存在しないのだろうか。
話は変わるが、この鼎談に参加していらっしゃる教授の研究室とうちの研究科とで連動した授業があるそうだ。そうか、そういうところで繋がりうるんだな、と思うと、急に参加したくなってきた。