『SPA!』11月1日号

扶桑社 350円

・文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」vol.164(p.136-139)

福田 だってさ、雑誌をつくるゼミで「バブル特集にします」っていう学生がいたの。そいつ、革マルの教祖・黒寛みたいなヤツで、プレゼンを前日にテープに吹き込んできて、「人前で喋れないので許してください」ってさ。そんなヤツにバブルが関係あるか。
坪内 ないな。

パッと立ち読みしたときに、「ないな」を別の意味で取っていた。バブルについての語られ方に、どれだけのバリエーションがあるのか、俺はさっぱり知らない(あまり読む気にもならない)のだけど、ツボウチさんの語るバブル論(論、と言うとちょっと違うけども)は、読んでみたい。僕が物心ついた頃には、とっくにバブルははじけていて、風邪で休んだ日にワイドショーで見た、あの無残な残骸しか知らない。つまり、バブルへの執念というか、執着とでもいうようなモノしか感じられなかったわけだ。執着、それすなわち<バブル=よいもの>である。そういう話は、たとえバブルが再来してもその恩恵にあずかることができない俺にはどうでもいいことだし、「どうしてバブルがはじけてしまったのか(=どうすれば持続可能だったのか)」という話も、同じ理由によってどうでもいい話だ。それよりも、バブルとは無縁であった人、その狂騒を冷静に傍観していた人(或る意味では何よりもその当事者であった人)からみたバブル期というモノのほうが、知りたい。

どうでもいいのだけど、何で今週の写真は、新橋の適当な路地で適当に撮ったような写真なんだろう。しかも2枚とも。