そういえば昨日、往来座阿部昭『言葉ありき』を買っていて、その偶然(?)が嬉しかった。
今日の夕食はメガテリヤキだった。持ち帰りに包んでもらっているあいだ、なんとなくメニューを眺めていたら、値段が変わっていて驚いた。そうか、マックも値上げか。最近のマックは単なるジャンクフードになっていて、小さい頃に感じていた輝きが失せてしまっていたので、路線変更の契機になるんであれば嬉しいけど、ほぼニートな生活を送っている俺にはそんなことを言う余裕はない。
久しぶりに夕方のニュースをつけて眺めていたら(矢部の会見が見たかったのだ)、ビリー来日のニュースをやっていた。ああ、あんなよく分からない動きをしてまで痩せたいという意志はないけど、なんだかああいうへんてこな人がいるって、いいなあ。色々プロモーションもするんだろうけど、なんだか独特のゆるさがあって面白かった。いまどきハッピを着て(着せられてる感があまりしなかった)出てくるとは。

ここはこう書くべきだったのか、ここはこう繋げればいいのかと反省している。プロを舐めているわけじゃないんだけど、自信がなかったところはきっちり直されていた。まだまだ未熟だ。うーん。
ただ、ここだけはどうしても入れたいんだけど、たぶん削られるだろうなと思っていた箇所は奇跡的に残っていた。うれしい。

…なんて書いてても仕方がないね。でも、人に相談できるくらいなら、それってもう悩みじゃないよね。こうやって文字にしてる時点でどうなんだよお前、っていうのはあるけどさ。
そろそろ梅雨なんだろうか。あいかわらず部屋にいる時間は長いんだけど、ニュースは前にも増して観なくなったから、全然分からない。天気予報もチェックしない。そんなに長時間出かけることもないし、こうしてずっと向かってる机はベランダのすぐ近くにあって、いつでも空が見渡せるから、なんとなく天気の移り変わりはつかめるから、チェックする必要も少ない。
うちのベランダの窓は真冬以外はつねに開けっ放しだ。今日は入ってくる風が冷たくって、でもそんなにじっとりしていなくって心地良い。誰かが置いていった鼻パックがあるから、使ってみようかな。でも、鼻パックを置いていかれたのは、『てめえの鼻、汚いんだよ。鼻パックぐらいしろよ』というメッセージだったらどうしよう。いやどうもしない。たしかに特に手入れもしてないし(俺が丹念に手入れをしていたら、それはそれで気持ち悪いけど)、色も白めだから、目立つのは目立つ。
わりと冗談で言っていることは多いんだけど、冗談として通じていないなと分かるときが多い。面倒くさいし、もし通じていたらアレだし、流れもあるからいちいち訂正しない。何の意味も脈絡もない冗談だから、冗談になっていないといわれるかもしれないけどさ。冗談といえば、最近名刺をもらうことが増えたのだけど、もらうばっかりだ。つまりこちらから渡す名刺がない。特に必要だとも思わないんだけど、というか渡すほどの肩書きはないし、職業俺です、と言えるほどの人間でもないから、ちょっとまだ作りようがない。名刺を渡されるような場所に行くからには、名刺を持っておかないと失礼なのかもしれないけど、ちょっと無理だ。
坪内さん、と名前を出すのは申し訳ない気もするし変にメッセージっぽくなるのが怖いんだけど、の「天声人語」はすごく面白かった。最近ごにょごにょしているときに、ついメールで連絡を取ろうとしてしまうことに気がついてハッとした。電話かけるのは怖い。坪内さんだとなお怖い。電話番号を知っていても、ふらっとかける気にはならない(誰にだってふらっと電話かけることはないんだけどさ)。こういう人(という書き方は失礼か)がいるうちに色々興味を持つことができて本当によかったと思う。どこかで端境期があって、その境の向こう側を、感覚的にはっきりと認識できない俺が、その向こう側を知る手がかりになる。そういえば『QJ』の編集長が次号で変わって、それに伴って今月で「東京」が終わってしまった。さみしい。坪内さんが「小説書かないんですか」と聞かれているのを何度か目撃したことがある。まあ、小説ではなかったけど、遊歩者が自分と街との記憶(というか関わり)について書いていたら文学になったという、すごく良い連載だった。単行本にならないかなあ。まぁ、『QJ』全号持っているから、いつでも読み返せるんだけど。
土曜日は久しぶりにザゼンボーイズのライヴだ。さあ、ベースが変わってどうなるのか。少し緊張している。

ようやく気づいた。

夜、赤江くん(玉袋)と車中、ネタ合わせ。
たまたま、評論家の坪内裕三さんを発見。
べろべろの酩酊状態。
大丈夫かしらと、声をかける。

「べろべろの酩酊状態」と書かれても、意識も記憶もはっきりしてるのは、一体どういう身体なんだろう。